インタビュー・レポ

【理Ⅰ→都市工→官僚→デベロッパー】学生時代は社会人には出来ない経験を

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今回は石田整さんのインタビューをお届けします。石田さんは理科Ⅰ類から工学部都市工学科に進学され、大学院にまで進んだ後、経済産業省で約4年間勤務されました。その後、三井不動産に転職され、現在もご活躍中です。

――まずご経歴についてお聞かせください。

2005年に経済産業省に入って、 2009年の10月に転職して三井不動産に来ています。

三井不動産では、最初は日本橋まちづくり推進部というところで、コレド室町一体の開発を2014年まで担当していました。

そこから3年間、法人営業統括部という部署にいました。三井不動産は、商品別に部署が大きく分かれていて、オフィスビルであったりとか、商業施設や、ホテル、住宅は別会社になっているのですが、大きな本部が商品ごとにあります。その中で、ビル部門の中の法人営業統括部というところにいて、主にオフィスを借りていただいているお客さんとの関係を築いていく部署の全体取りまとめをやっていたので、どういう方針でオフィスの営業やっていくのかみたいなことを仕事にしていました。合わせてウェブサイトの運営、お客様向けのウェブサイトの運用をやったり、あとはワークスタイリングという、新規事業で始めたシェアオフィスのコンセプト検討から立ち上げをやったりしていたのが、その3年間でした。

その後3年間は三井不動産レジデンシャルに出向して、古くなったマンションを建て替えるような再開発みたいなことをやっていました。去年の4月に今のビルディング本部の事業企画部というところで、主に再開発をやっています。うちの商品の中でも、オフィスが入って、商業が入って、というような複合の大きなビルの再開発を手掛けていますね。

──理科Ⅰ類から、工学部都市工学科に進学されますが、どのような理由で都市工学科を選択されましたか。

あまり勉強しなかったのもあったので、そんなに前期教養の点数が高くなかったんですね。それに加えて、もともと環境に結構興味があったんで、環境に携わることをやりたいなと思いました。その中で都市を基盤にした環境を扱ってるのが都市工学科だったんですね。それで、まあおもしろそうだなという感じです。大学院にも進んで、そのまま都市工学専攻に行きました。都市工学科って二つコースが別れていたんですね。計画系と環境系の二つでした。計画系はまさにそのまま不動産に行ったり、設計会社行ったり、後は国交省行ったりという就職先が多く、いわゆる三井不動産みたいな会社に入る人が主流でいました。

環境系はどっちかって言うと、たとえば都市に関係した環境問題、例えばエネルギー問題とか上下水道だったりとか廃棄物だったりを扱っていました。主な進路でいうと、研究職の人が多かったな? あとは水処理会社にいったり、国交省にいったりした人もいたな、というところでした。

──学部を選ぶとき、他の検討された学部はありましたか?

前期教養の点数がすごい低かったので、あまり選択の余地がなかったんですよね。理学部の地球惑星環境学科というところも、環境に関心があったので、興味はありました。逆に土木とか建築とか物理みたいなものにはあまり興味を持っていませんでした。

私の地元が広島の田舎の山奥だったので、環境問題への関心が高かったです。それで、都市工学科、あとは地球惑星環境学科のような、大きな世界での環境について学べるところを見ていました。

──次に、学生時代、学業以外に取り組まれていたことについてお伺いしても良いでしょうか。

サッカー部に所属していたのですが、1年の後半に辞めて、そこからはサッカーサークルに所属してバイトをやっていたくらいですね。昔の話なので、あんまりよく覚えてないですけど、記憶に濃いのはやっぱり大学院の時に海外で色々体験したのはいい経験でした。世界が一気に広がった記憶がありました。確か初めて行った海外がアメリカで、大学院生の交換留学みたいなものでした。アメリカに3ヶ月ぐらいインターンで行って、向こうでちょっと研究するみたいなことをやっていました。そこからおもしろいなと思ってバイトでお金を貯めて、ヨーロッパなどをバックパッカーで回りました。それはとてもおもしろかったですね。全部1人ですね。バックパッカーで、1ヶ月とかそれぐらいずっと回って。その後転職する時も3ヶ月ぐらい間が空いたので、そこはエジプトから中東回って、シリアヨルダンとか行ってトルコ行ってギリシャだったかな? そのへんを1,2ヶ月くらい回りましたね。

やっぱり大学院時代の体験から海外が好きになりましたし、新しいものに触れる感覚がおもしろいな、というのは結構ありましたね。

──ヨーロッパをバックパッカーとして回るというのは一人でされていたのですか?

全部1人ですね。バックパッカーで、1ヶ月とかそれぐらいずっと回って。その後転職する時も3ヶ月ぐらい間が空いたので、そこはエジプトから中東回って、シリアヨルダンとか行ってトルコ行ってギリシャだったかな? そのへんを1,2ヶ月くらい回りましたね。

やっぱり大学院時代の体験から海外が好きになりましたし、新しいものに触れる感覚がおもしろいな、というのは結構ありましたね。

──次に、学生時代にやっておいてよかったことはどのようなことでしょうか。

やはり海外に行ったことは大きかったですね。観光というよりは、普段見ない景色や空気に触れるのが楽しかったです。たとえば海外に行って何でもない100mの道を歩く時に、日本だといつも通ってる100m。ただ歩くだけで、何も心も動かない。でも、初めて降りた街だとなんでもない100mの間にすごく感じることが色々あるので、そこの感覚はとてもおもしろかったな、という記憶はありますね。

──観光地を回る、というわけではないんでしょうか?

目的地も全然決めていなかったので、行きたい観光地あれば行きましたね。往復の飛行機だけ取って、もう現地に着いてから宿を探して、地元の人にどこがいいか聞いて、みたいな感じでした。それがおもしろかったですね。

英語もあまり得意ではないんですけど、なんとなくコミュニケーションとりながら、みたいな感じでした。

──逆に学生時代にやっておけばよかったことについてお聞かせください。

アルバイトはもっとたくさん種類やっても良かったなあ、と思いますね。コンビニで働いたり、日雇いでガーっとお金貯めたりもしましたけど、たとえば飲食店とかお酒出す店だったりとかはやっていませんでした。コンサルタント会社でもバイトをしていましたが、比較的よくあるバイトが多かったので、もうちょっといろいろな種類のバイトやっておいたほうが良かったかな、と思います。社会人になると、本業以外のことを知る機会が少ないので、そういうのは将来の選択肢や考えの幅を広げることにつながるんじゃないかな、と思いますね。

コンサルタント会社でのアルバイトは、資料を作ったり、リサーチしたりなど、普通に今の会社でアシスタントさんがやっているようなことをやっていたのですが、これは社会人になってからでもできるんですね。学生の頃はそういうのが貴重な経験なのかと思ってしまいがちなんですけど、学生の頃は学生だからできる仕事をやるほうが貴重な経験になります。僕は今カフェで働く、というのはできないので。

時給1000円とかだとすると、時給1000円のために働くことってそんなに価値はないと思うんですよね。学生時代ってお金ないからとは言うものの、社会人になって入ってくるお金の大きさを考えれば、学生時代に1時間1000円っていう時間の削り方、命の削り方はあんまりポジティブじゃないなと思っています。

時給1000円のありきたりな労働に自分の労力を費やすのはポジティブじゃないと思っていますが、いろんな経験をすること自体はとてもおもしろいと思うので、アルバイトもお金のためっていうよりはおもしろそうっていう判断でもっと色々やっても良かったなと思います。

──次に就活について伺いたいのですが、就活を初めたのはいつ頃だったでしょうか?

学部の時は就活はしなくて、大学院に入ってから就職浪人したので、2回就活をしたんですよ(笑)。大学院1年目、僕たちが1回目の就職活動のときも、あんまり準備しませんでした。ババっと皆が受けそうなところを受けて、ダメだった、という感じですね。それでも、自分の中でどうしても行きたかった企業も特になく。まあみんなが受ける有名どころ受けました、みたいな感じだったので、悲壮感も悔しさもなく、どうしようかな、という感じで淡白に終わったのが1回目の就活でした。

受けた業界としては、総研・コンサル系、東電などのインフラ系でした。

2回目は、経済産業省の内定を比較的早く取れたので、就活を始めてから2ヶ月程度で終了という形でした。

──就活、特に2回目の就活について受ける企業を選ぶ際の判断基準のようなものはどこに置いていましたか?

親がふたりとも公務員だったのもあり、元々金儲けにそんなに関心が持てなかったので、なんとなく公務員も選択肢にありました。

環境問題も、今こそSDGsとかで盛り上がっていますが、環境問題に対する世間への関心が薄い時代でした。ただ、僕は大学・大学院で環境を学んでいたので、環境問題を仕事で扱いたいという思いから色々見てまわりました。その中で、官庁は興味がありました。

ただ、環境省は色々旗は振るけど、実効性があんまりないイメージで、経産省のエネルギー政策が環境問題に対して実効力があるんだろうなと思ったので、経済産業省にいきました。

あとは、経済産業省は省員の人も元気な人が多かったので、そこはおもしろそうだなというのはありましたね。

──経済産業省入省後に、どのような仕事をされていましたか。

1年目は環境政策の取りまとめ課のようなところにいました。役所のときは「ロジ」という呼び方をしていましたが、外部からの問い合わせや政策の検討依頼、議員からの質問をどこの部署で対応するかの割り振りを全体の窓口として行っていました。

1年生が窓口として問い合わせを受け、その後、割り振られた人が対応し、1年生経由で問い合わせや質問への回答が戻っていくい、というのが経済産業省の組織でした。

一方、当然資料のベースを作成するなどの業務もありましたし、国会答弁の作成にも携わりました。このようなことが 1年目のメインの仕事でした。

その後は、製造局というものづくりの部署に異動し、革靴などの革製品や紙の製品の産業振興を担当していました。

その次は、資源エネルギー庁に異動して、エネルギー政策の技術開発を担当して、その途中で、エネルギー効率の高いものを使うことを促進するための税制度を立ち上げよう、というプロジェクトに携わっていました。

そんな感じで4部署くらいを経験しています。

──官僚はその労働の過重さから、現代の東大生には忌避されることもありますが、当時の東大生は官僚という職業をどのように受け止めていたのでしょうか?

まあ、今ほど、夜中まで働くことに対して、世間がブラックだとか、おかしいとかそういう雰囲気ではなかったですね。官僚の間でも、労働時間が多いのはそういうものだ、という認識でした。

しかし、一方でやっぱり国を動かすっていうことができるのは魅力でした。特に経済産業省の場合は、国土交通省とか農林水産省とかと比べて既得権益がないんですね。産業見てます、と言っても、なにか新しいことをどんどん打ち出していかないと存在意義がない。そういう意味で新しいことにチャレンジする風土はありました。

それで国全体のありように対して提言できるって意味で、今残ってる同期もそうですけど、やっぱり国全体を思う意識が強くて、そういうところに興味を思ってる人達からの人気はそれなりにあったという感じですね。

【官僚】「チャレンジし続ける」経産省時代~石田さんインタビューvol.2~

──4年ほど経済産業省で働いた後、三井不動産に転職されますが、経済産業省をやめたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

4年半ぐらい経済産業省で働いていたのですが、そこで言われていたのは、役所の人間は長く働くともう民間で働けなくなる、ということでした。価値観もそうだし、仕事のやり方も全然違うので。

それで、3年目ぐらいから意識し始めて、色々と見ている中で、結果的に三井不動産が面白そうで受けてみたところ、受かったので行きます、という感じでした。

──ずっと省庁で働く、という選択肢もあったと思うのですが、そうされなかったのはなぜですか?

労働時間が長かったのもそうなんですけど、仕事って100%やりたいことだけやれる、というのはなかなか難しくて、やれる仕事の中で、自分がやりたいこと、楽しいことを見つけていくものだと思うんです。それにしても、経済産業省の時代は拘束時間がすごい長い一方でやりがいもゼロじゃないんですけど、その密度がとても薄いな、と。

自分がかけている労力と、自分がいいなと思う仕事の密度との釣り合いがあまりにも取れておらず、もう嫌だな、と。

給料が安いのもそうですし、役所でどれだけ仕事ができても、まあ役所の人だからね、というふうに同じ土俵に立って評価されないのも嫌でしたね。

だから、やはり経済産業省でずっと働き続けるっていうのは多分なかったんだろうと思っています。三井不動産に落ちててもどこか別に転職はしてたんだろうなという気がしますね。

──転職時に感じた三井不動産の魅力はどのようなところでしたか?

役所は机上の議論が多いんですね。最終的には政策という形で当然実経済に落ちてくるわけですけど、やはり議論しているときは机上の話が多く、実業じゃない印象が強かったです。それに対して、ものづくりはリアルですよね。

転職してコンサルになっても、同じようなことですし、もう少し実業によったときに、不動産は間違いなく実業だし、作る建物がでかいんですよね(笑)。

とにかくでかいのは強そうだな、というのと、半官半民じゃないですけど、利益だけを追求するのでなく、まちづくりっていう公の部分も含めて考える必要があるのも、おもしろいかな、と思いました。

──それでは、実際に三井不動産でどのような仕事をされて、どのようなやりがいがあるのかお聞かせください。

一番記憶に濃いのはコレド室町の開発担当をやっていて、コレド室町3を造って実際に竣工したときですね。建物ができあがってお客さんが使うところまでずっと見ていた時に、やっぱり自分が作ったものに多くの人が来て、そこで楽しんでいる、遊んでるっていうのを目の前でリアルに見られるっていうのはなかなかない経験だと思います。あとは自分の家族に仕事何やってるの? と聞かれて、子どもにこれを作ったんだよ、と言えるのはとてもいいです。モチベーションになると思っていますね。

後はワークスタイリングというシェアオフィスの企画、コンセプト提案から携わっていた時に思ったのは、先ほどのコレド室町のように、大きな開発っていうのはそれはそれでおもしろいんですけど、一方で大きな開発物がたくさんあっても、ある一人の個人にフォーカスした時に人生の質が上がるのか、という点には個人的には疑問がありました。たとえば今渋谷でできることが、秋葉原に同じような施設ができました。まあ近くに住んでる人はすごく楽しいなと思うんですけど、ある一人の人の人生において、人生がより豊かになるかというと、別にこれまでも渋谷に行けばよかったわけで。

そういうふうに要は、量的な拡大みたいなものに、なんとなく自分の中で興味が薄れていった時に、ワーフスタイリングはシェアオフィスとして、新しい働き方を提案できたんですね。法人同士で契約をして、会社は正式にシェアオフィスをしてここを使ってください、

という仕組みなんです。そうすると今までは会社に出勤しないといけなかった人が、胸を張って会社に行かないで、別の場所で仕事ができる。それって生活の質が変わりますよね。

今も再開発をやっていますが、まあ再開発で、大きなビルに商業施設が入るだけだったら興味がないので、その再開発を介して、どうやって一人の人生を豊かにするか、というところにやりがいをすごく感じますね。

──コレド室町の開発担当をされていたということですが、実際にどのような仕事内容だったか教えて下さい。

わかりやすいのは会社として、予算や期間、どのように投資を回収するかの計画を建てるわけですね。それで与えられた予算の中で、設計会社や施工会社とやり取りをしつつ、建物のコンセプトなどを決める、というところがまず最初です。うちの会社は比較的一個一個の商品が各担当の思いで結構まちまちなんですよね。

たとえばミッドタウンの六本木や日比谷と、日本橋三井タワーっていうのは雰囲気とか作り方違っています。同じ大きさの敷地でも、どんなデザインでどんな建物にするか、というのは結構自由度が高いんですね。その中で建物の大きさをどうするか、どのくらい商業施設を入れるか、上層だけ賃貸住宅にする、ということもありますし、ホテルを入れる、ということもあります。そのようにコンセプトや全体のデザインをまずは設計します。

大きいところを決めたら床や壁の色、吹き抜けにするかどうかなど、細かいところまでも設計者と打ち合わせをして決めていくんですね。それこそ今のコレド室町の中でも自分がデザインを決めたものも当然入っているし、それが形になって実際に使われるっていうのはすごくおもしろいな、と思いますね。

当然ビルを建てるのに、一人で全部決めることってないんですね。会社の中で、オフィスビルや商業、住宅など色々な部門があるので、商業は商業の専門部隊に聞くし、住宅は住宅の専門部隊に聞くしという形で、社内のリソースや関係者を全部調整して、結果的に一つのいい建物を作っていく。「扇の要」という表現をよく使っていたのですが、とそのような業務をしていました。

また、いいもの作ろうとしたら当然金がかかるので、お金の責任も自分たちで負わないといけませんでした。もちろん、結果的にいいものを作っても、作って終わりじゃ意味がないので、実際に次は作ったものを今のマーケットにおいていくらで営業していこうかという、価格設定、値付けみたいなところも自分たちでやらないといけない。

その後は、営業する人はまた別にいるんですね。で、営業する人たちにその価格でこういう戦略で営業して欲しい、とお願いをして、テナントが入った後も50年、100年と建物を維持するための管理まで含めて、取りまとめなくてはいけない、という感じですね。

──仕事をやっていて、大変だったことについて伺いたいと思います。

やっぱり転職した当初は、全く知識もない中、社内でも重要なプロジェクトに入ったので、そこは大変でしたね。あと、役所にいたときは、特に外部の人に怒られることが全然なかったんですよ。皆テレビの前では官僚に文句を言うけど、面と向かって言われることってあんまりなかったんですね。しかし、当然民間企業に移ればそんなことはなくて、外部からもいくらでも何でも言われるし、転職して1ヶ月だろうと、不動産のプロとして見られるので、そこもプレッシャーは大きかったです。労働時間は経済産業省時代のほうが長かったんですけど、転職当初は、精神的負担は大きかったですね。

──入社したときに感じたギャップについてお聞かせください。

民間企業って、合理的に利益を追求するのかな、と思っていたのですが、思った以上に役所っぽい会社だなと思いました。一方で、いわゆる年功序列感というか、アットホーム感というか、ゴリゴリの民間企業じゃないというか。柔らかい感じ。これがたぶんうちの会社の特徴なんだろうなとは思います。

──それでは、最後に東大生へのメッセージをお願いしたいと思います。

よく転職の相談とかにも乗るのですが、今の時代、どこの組織にいないと何かができない、ということはあまりないと思っているんですね。たとえば、三井不動産に入りたい、っていうっている人が、三井不動産に入れなかったらまずいかというと、別に三菱地所や東京建物でも、たぶんやりたいことはできるんですね。まちづくりがやりたいなら、それこそもう不動産会社じゃなくても、設計会社やゼネコンという選択肢もあるし、できあがった後のソフトの部分、イベントをやることで、まちづくりに携わったりとかも考えられますよね。たぶん本当にやりたいことを突き詰めていった時に、どこの会社じゃないとできない、みたいなことってあまりないと思っています。

不動産の仕事はそれなりにおもしろい思っていますが、じゃあ学生の皆さんが今から30年40年働く中で、今までの不動産の稼ぎ方と同じように、新しい建物を作ってそれを貸してお金もらうっていうビジネスモデルがずっと続くとは限らないんですね。とにかく今ある仕事と同じことをやりたいです、っていうことだったらたぶんやめたほうがいいと思います。それよりは各会社が掲げるビジョンや持っているリソースから、自分なら何がやりたいか、ということを考えるほうが大事だと思います。

僕が学生のときに言われて響くかはわからないですけど(笑)。企業分析をして、過去こういうことをやってきたんだ、ということの重要性は下がっていると思いますね。

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