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【理系の学部就職】就職して感じた理系でよかった点とは?【理Ⅰ→マテ工】
インタビュー・レポ
今回は佐藤有里香さんのインタビューをお届けします。
佐藤さんは文科Ⅲ類から文学部社会学科に進学され、住友商事で4年間勤務されたのちに退職され、現在は2021年9月からのイギリスの大学院留学に向けて準備をされています。(インタビュー当時)
── どうして文科Ⅲ類を選択されたのか、というところからお話を伺っていければと思いますがいかがでしょうか?
政治にも経済にもそこまで興味がなかった消去法の結果というところもあるのですが(笑)。祖父が途上国で技術支援の仕事をしていたこともあり、もともと途上国で働きたいという思いを持っていたので国際関係論コースに進学したいと思っていました。それならば、文科Ⅲ類に進学するのがよいのだろうなと、入学前の浅い知識で考えていました。
── 実際に東大へ入学して前期教養学部の多様な授業を履修する中で感じたこと、あるいは興味の移り変わり等があれば教えてください。
国際関係論や地域研究の授業、ジェンダー論など幅広く授業を履修していました。もともと女子校だったこともありジェンダー問題には非常に興味があったのですが、改めて授業としてジェンダー見つめ直すなかで、日々感じていたモヤモヤが言語化されていくのを感じ、非常に面白かったです。振り返ってみると、駒場時代の私は大きく分けて、国際関係とジェンダーという2本の軸というのを持っていたと思います。
── ジェンダー問題に関してはどのようなことを考えておられたのですか?
当時は東大女子の割合が低いことや、女性がキャリアを考えるうえで育児などとの両立に不安を抱えなければいけない状況に問題意識を持っていました。女性がもっと働きやすい社会になればいいなと感じましたし、逆に家族のサポートにまわりたい男性が主夫になる選択肢も普及していいと思いました。性別によってレッテルを貼られることなく、自分の生きやすい道を選べる社会になればいいなと感じました。
── 駒場時代はジェンダーや国際関係に関してのゼミや何かしらの課外活動に参加されたりしていましたか?
1,2年の時は女子ラクロス部に入部し毎日ラクロス漬けの日々を送っていたので、他のことに手を出す時間的余裕はそこまでなかったのですが、2年のAセメでは瀬地山先生(※ジェンダー論の教授)のゼミに入り、毎回課される課題本を読みそれをもとに議論・発表していました。
── 女子ラクロス部は朝早くから本当に忙しいですよね……。2年の12月に部活を辞めてしまったというお話を伺ったのですが、これは後期課程の忙しさが故なのでしょうか?
ラクロス部も本当に楽しかったのですが、もともと留学したいという思いを持っていたので、このタイミングで辞めることを決意しました。
── 部活で暮らした2年間で学んだことがあれば教えてください。
他の部員は自分がこうしたい!という思いを主張することができていたのですが、私はあまり自分の意見を主張するのが得意ではなかったので、コンプレックスに感じたり悩んだこともありました。。意見が対立した時には私は調和を図る側に回っていたのですが、こっちの方が適性があるのかなと考えるようになり、調整や管理を強みにして生きていくのもありなのかなと考えるようになりました。
── 次に進学選択に関してお伺いしたいのですが、数ある学部学科の中から文学部社会学科を選択された理由を教えていただけますか?
部活をしてたらというのは言い訳ですが(笑)、後期教養学部に進学することは点数的に厳しいことがわかりました。とはいえ、途上国に関わるなら何かしら専門性を有していた方がいいのかなと思い、第一志望先を農学部の国際開発農学専修で提出しましたが少し点が足りませんでした。今振り返ると農業にはあまり興味がなかったのでよかったなとは思っているのですが(笑)。一回国際的という面から離れて、国内国外問わず自分の興味を改めて見つめ直す中で、性別や環境、生まれに伴う機会や経済格差に興味があるなと改めて感じました。そこで、ジェンダーや社会格差などが勉強できる社会学科に進学しようと決意しました。
── 記憶に残っているできごとなどがありましたらお教えください。
私は横浜出身横浜育ちで地方の実情に関してはあまり詳しくなかったということもあり、地方から来ている同級生の話は非常に刺激的でした。都心と比べて地方に足りないのは勉強にアクセスする環境自体というよりかは、東大を目指そうと志す文化的資本なんだという話を耳にして、自分は首都圏にいるからこそ見えない格差があることに気づき勉強になりましたし、様々な人の立場で社会を捉え直すことの大切さを改めて感じました。。
── 実際に社会学科に進学されてからの日々はいかがでしたか?またどのようなことを学んだか教えてください。
実際に進学して学びを深めるなかで、社会のレッテルはもともとあるわけではなく人々の規範によって形作られてきたという、いわゆる構築主義的な考え方が自分の感覚としてもしっくりくるなと感じましたし、社会に潜む格差や不平等、生きづらさなどの現象を言語化し、定義付ける社会学にとても面白みを感じました。何より社学に進学してきた人には考え方がリベラルな人が多かったので授業中のみならずお昼休みにもご飯を食べながら様々なバックグラウンドを持つ同級生達と教育格差、少子高齢化などあらゆる社会問題や、どうしたら東大女子が増えるかといった身近な問題に対してざっくばらんに意見を戦わせられたのが非常によかったと感じています。
私は白羽瀬先生のゼミに所属していたのですが、社会階層に関して知見を深める中で女性が社会で活躍するための経済的エンパワーメントに興味を持ちました。同時期にシンクタンク系の企業でインターンをしていたのですが、テレワークが共生社会にどう役立つのかという調査のお手伝いをするなかでテレワークというものにも関心が芽生え始めました。それまでは女性の社会進出という人権的側面にばかり目が向いていたのですが、人口減少を続ける日本社会において女性の社会進出は経済的な起爆剤となりうるという、経済促進の一手法として捉え直す考え方を身につけました。結果的に、テレワークが共生社会にどれだけ資するのか、というテーマで卒業論文を書きました。
当時はテレワークもそこまで普及していなかったのですが、どのような施策をしていて、それが働きやすさにどう繋がっているのか、といったことを既にテレワークを導入していた数社にインタビューし、女性活躍の政策や取り組みがどのように変革していったのか戦後からの流れも踏まえて分析しました。
もちろんみんな平等だよねという観点からジェンダー格差が解消されたら理想的だとは思います。ただ女性は育休や産休で会社を抜けやすいということもあるので人権だけの側面で語ると企業の利害と一致しないことも実際問題あると思います。だからこそ、経済政策として誘導していかないと平等の実現は難しいのかなと感じています。
── 続いて留学の話に移っていきたいのですが、いつごろから留学を考え始めたのですか?
もともと国際関係のお仕事に興味があったということもあったので、入学前から留学したいという思いはぼんやりと持っていました。ラクロス自体ももちろんとても楽しかったのですが、部活以外のことにも挑戦してみたいという葛藤もありました。
── カリフォルニア大学デービス校を選ばれた理由を教えてください。
とにかくアメリカに行きたくて(笑)。スターウォーズとかバックトゥザフューチャーとか、アメリカ映画が大好きで、憧れがあって「The アメリカ」という暮らしをしてみたかったんですね(笑)。ちょうど東大がカリフォルニア大学と協定を結んでいたこともあり、デービス校への留学を決意しました。
── 留学の1年間はどうでしたか?
特に英語が得意というわけでもなく、スピーキングの能力は全然だったので喋れない状態のまま留学が始まりました。当初は人と一緒にいても聞き取れない、話せないの悔しい日々が続きました。でも、とにかく聞く回数を増やして喋る回数を増やして、話せるようになろうと努力しました。海外の大学って日本と違くて課外活動が半年ごとにリセットされたりするんですよね。それもあって模擬国連、テコンドー、UNICEFのファンドレイジングなど沢山のコミュニティに所属して、聞き取れなくてもその場にいてくらいついて「今日は2回は発言しよう!」などと目標を決めて頑張りました。あとはNetflixでひたすら海外ドラマを見てシャドーイングをするなど、強制的に英語漬けの日々を送りました。こうしているうちにちょっとずつ話せるようになっていきました。
最初は誰しも考えてからじゃないと話せないという状況だと思うのですが、次第に考えながら喋ることができるようになってきて、話せない時でも言葉をつなぐ能力が身につきました。
── 文化的な面での刺激はありましたか?
中高は女子校だったので伸び伸びと過ごしていたのですが、東大での最初の2年間は様々な規範を感じ、大学生として外れないようにという生活をついつい意識していた気がします。ただ、カリフォルニアは本当に自由というか、スーパーマーケットの店員さんが歌いながら接客してくれたりとか、みんながのびのびと暮らしていました。人にどう見られるかということを気にしないで、自分のやりたいように生きればいいんだと気付くことができたと思います。
── いまはコロナ禍でなかなか難しい状況ではあると思いますが、いまの東大生にも留学は勧めたいですか?
勧めたいですし、絶対に損はしないと思います。行ったらとにかく色々な人に会いに行って、沢山のコミュニティに所属してコミュニケーションを取るということを意識してもらいたいです。興味を持ってやってみたことの数が確実に成長につながると思います。
── ファーストキャリアでは商社に就職されたということですが、これにはどのような経緯があるのでしょうか?
女性の経済的エンパワーメントに関する仕事と途上国に関する仕事の、どっちを選ぼうかなと非常に悩みました。前者についてはシンクタンクや公務員、後者については商社とあらゆる可能性を考えました。とにかく悩んで、今まで社会学とかビジネスとはあまり関係のないところを勉強してきたのですが社会はビジネスによって動かされている側面があり、大きな社会変革を起こすには民間企業の果たす役割が大きいと感じていたので、一度ビジネスを勉強してみるのもありかなと思い、最終的には商社を選択しました。
── 商社の決定打となったのはどこなのでしょうか?
商社はモノを有していない分、人を大切にする文化があると感じました。人に投資をしてくれる環境でファーストキャリアを積めば成長できるのではないかと考えました。あとは30歳までに途上国の現場で働きたいと考えていたので、海外赴任の可能性も考えて決意したというのもあります。最後は本当に悩みすぎて、最終的に内定をいただいた国家公務員と商社のproとconを書き出して点数をつけたりとかそんなこともしましたね(笑)。まあでも最後は、実際に働かれている人を見て、自分に合いそうだなというフィーリングで決めました。
── 大学を卒業されて、入社後はどんな部署に配属されたんでしょうか?
途上国に行きたい、最前線の営業に行きたい、と言って入社したのですがなかなか商社は配属リスクもあるので希望叶わず、食料やヘルスケア、繊維関連の経理担当になりました。
── 公認会計士ではないのに、経理だったんですか?
そうですね、大体の人が未経験で入ってきていて、私も財務諸表や貸借対照表が一切わからない状態でした。でも、何事もやってみようという思いでくらいつき、入社1年目の6月に簿記2級を取得しました。その後2年間みっちり経理をやったおかげで数字面からビジネスを捉えられるようになり大変勉強になったと思います。言語から税制まで何もかもが異なる様々な国と、食料と繊維とヘルスケアという多岐にわたるビジネスを、数字という同一の尺度で捉えたり、複雑なビジネススキームを数字に落とし込むのは面白く、入社した時に思い描いていたキャリアとは違いましたが、知的好奇心をくすぐられる非常に貴重な経験ができました。
また先輩や上司にも恵まれて、仕事終わりに飲みに誘ってもらったりとか土日にゴルフを教えてもらったりとか、沢山可愛がってもらって楽しい2年間でした。もちろん飲めなくても商社はやっていけるのでそこは心配しないで欲しいんですけどね(笑)。
── 2年間経理をされた後、どのような部署に異動されたのですか?
輸送機関連の営業部門のバックオフィスに異動になりました。最前線で営業をするというよりかはミドルオフィス、つまりは営業予算を管理したり、予算と実績を比較してそれをマネジメントへ報告する、その他には株主や投資家に対して業績報告をする、といったお仕事を担いました。会社の経営を担うポジションの方と近い立場でお仕事ができ、この会社をどうしていったら良いのか、常に視座を高く持って経営について真剣に考えたり意見することができたのは非常に面白かったですし、当初の希望ではなかったですが、ミドルオフィスとして関係者の利害調整をしたり、数字を使ったモニタリング・分析の業務は意外と自分の性格に向いてるなと感じました。
── ただ、2年と少しで退職されてしまったのですね。もう少し待てば希望の現場に行けたかもしれない、というこのタイミングで辞めてしまったのはどうしてなんでしょうか?
出張でミャンマーへ行かせてもらう機会もありこのまま働き続けるか非常に迷ったのですが、30歳目前になった時に、会社の異動に左右されることなく、自分で人生の舵取りをしたいなと、そう思うようになりました。また商社は企業である以上、どうしても儲かることが中心になってしまいますが、ビジネスは課題解決の一手段にすぎない、という立場であったので、私はあまり儲かることそのものに興味はありませんでした。また、ビジネスでは途上国のマクロな経済に影響を与えることができても、国の中で社会階層が低い方々へのリーチには限界があるとも感じていました。途上国でも経済的に豊かな人や能力がある人はたくさんいて、私は、途上国の中でも貧困層や社会階層が低い人たちがどうしたら経済的に豊かになるかということに興味があると改めて感じました。
ちょうど1年前に途上国のNPO団体でプロボノ(※各分野の専門家が知識やスキルを無償提供して行う社会貢献活動)をするようになりました。そのNPO団体は担保がなく大きな金融機関ではお金を借りられない貧困層、特に女性に対して小口融資を行う団体だったのですが、私は顧客のインタビューを実施する中で、途上国の女性はどうやったら経済的に自立できるのか、どうしたら機会を均等化できるかということを考えるようになりました。
商社を選んだ理由の一つとして潰しが効くだろう、という考えもありましたが、興味とは別のところで外堀ばかり埋めていても仕方ないな、と。今改めて考えて、まだ30歳前なので汎用性は考えずに一度やりたいことをやってみようと思うようになりました。挑戦してみてそこでやっぱり違うなと思っても後悔なく次に進めますし、今挑戦しなければずっと後悔が残るなと思いました。東大に入った利点として、どんな道を選んでも食い扶持にはこまらないだろうという思いもあり(笑)、もう一度大学へ通って途上国の女性の経済的エンパワーメントについて学び、開発とジェンダーの修士を取ろうと決意しました。
── 一度社会に出てからもう一度大学に通うというのは、レアな選択だと思うのですが、どのような感じなんでしょうか?
実はこの9月からイギリスに行くんですよ(笑)。仕事の傍ら、去年の12月に出願をしました。専門知識を問うような試験はないのですが、逆に言えばエッセイなどで合否が決まるので、いかに自分が学校の授業で貢献できるのか、今後の社会にどう役立つのか、今までの経験や知識と結びつけて書かねばならないので大変でした。
── イギリスで修士を取った後のビジョンはありますか?
今まで商社でビジネスの知識や事業の管理・モニタリング・評価のスキルをつけてきたので、これを生かしながら途上国の女性の経済的エンパワーメントや社会開発に貢献できたらと思っています。とはいえ、まずは勉強をしっかり頑張って色々なものと出会い、考え方をブラッシュアップしていきたいと思っています。
── 最後に、今の東大生へ一言お願いします。
人生で選択を重ねていくと「あっちを選ぶべきだったのかな」と思う回数も増えてきて、新たに選択して後悔することが怖くなることもあると思います。ですが、たとえ思い描いていたようにいかなかったとしても真剣に向き合い全力で頑張れば得られるものがあるので、ひとまず頑張って欲しいです。全然選択肢になかった道でも、真剣に取り組んでみると面白い部分や学べること、意外と向いているなということもありますし、やっぱり違うと思っても、何が違うのか、自分は何に向いているのかが明確になると思います。もし中途半端にしか頑張れないのであれば、だらだら続けても得られるものは少ないと思うので辞めて違う道を選んだ方が良いのかもしれないです。間違った選択というのはないんだ、ということを伝えたいですし、失敗を怖がらずにどんどん選択・挑戦をしていって欲しいです。
── イギリスでの生活を応援しております。貴重なお話をありがとうございました。
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